学生から社会人へ、そして成年皇族としての公務にも本格的に取り組まれるなど、活動の幅を大きく広げられた愛子さま。
初めて尽くしの2024年、宮内庁担当記者として間近で愛子さまを取材して感じたのは、初めての行事で緊張される自然なお姿と、その緊張をも解きほぐすような愛子さまならではの「ことばの力」だった。
スワヒリ語の「ごきげんよう」が大統領の心をつかむ
2月に行われたケニアの大統領をもてなす宮中午餐。初めての食事を伴う国際親善の場で、愛子さまは少し緊張していたそうだが、スワヒリ語で「ごきげんよう」と挨拶したこともきっかけとなり、打ち解けて話を弾ませられた。
この記事の画像(14枚)ケニアを訪問した経験がある陛下や皇后さまと相談して準備をされていたそうで、愛子さまの挨拶に心をつかまれた大統領はとても喜び、初めての外国訪問にぜひケニアへ、と何度も招待の意向を示したという。
相手の国への敬意と親しみを込めて、ひと言でも現地の「ことば」を交えることで心を通わされる。まさに両陛下ゆずりの交流が愛子さまに受け継がれていることが垣間見えた。
この時の経験を、愛子さまは「相手の方の国の風土や文化について理解を深めることができる貴重な機会であるとともに、日本の魅力を外国に発信できる、両国にとって意義深い時間であると身をもって感じました」と文書で振り返られた。
「当たり前だったことの尊さを実感した学生生活」
3月には学習院大学をご卒業。コロナ禍でオンライン授業が続き、4年生でようやくリアルなキャンパスライフに移行し、友人と直接触れあう楽しさや大切さを経験された4年間の大学生活を終え、桜色の袴に身を包んだ愛子さまの表情は晴れやかだった。
「その転換期を経験し、以前は当たり前であったこれらのことがいかに尊いものであるのか、実感することとなった学生生活でもありました」(愛子さま卒業にあたっての文書回答より)
「様々な困難を抱えている方の力に」公務と仕事の”二刀流”
4月1日には日本赤十字社に嘱託職員として入社。社会人としての歩みを始められた。
「公務以外でも、様々な困難を抱えている方の力になれる仕事ができれば」「大学卒業後は社会に出て、福祉関係の仕事に就きたい」と希望されたという。
青少年・ボランティア課に配属され、5月には年に一度の「全国赤十字大会」で運営スタッフのストラップを身につけ、裏方で出席者の誘導などを担当された。
日赤の名誉総裁を務められる皇后さまの公務に職員として初めて携わり、心を込めて業務に取り組まれた愛子さまのことを皇后さまはとても喜ばれていたという。
こうして、愛子さまの公務と仕事の”二刀流”生活が始まった。
新入社員は「分からないことばかりなので」
就職にあたって寄せられた文書には、公務と仕事の両立について「大変な面もあるかもしれません」と少し不安も覗かされていた。
週に3回ほどの出勤という当初の予想を超え、ほぼ毎日出勤された愛子さま。「一日も早く職場に慣れ、なるべく早くお役に立てるようになりたい」という一心だったという。
新入社員として毎日が必死な中で、4月下旬には初めて「園遊会」に出席された。
「緊張しております」と率直に明かされていたが、園遊会デビューの愛子さまの姿を楽しみに来場した招待客も多く、卒業や就職へのお祝いを言われる度に「ありがとうございます」「分からないことばかりなので」と初対面の相手とことばを交わしながら、徐々に緊張も和らいでいかれたようだった。
俳優の北大路欣也さんとは15年ぶりの再会を喜び、美術家の横尾忠則さんとは猫談義で話が弾んでいた。
「心も熱くなって」”ことばの力”が緊張をほどいていく
10月に初めてお一人で地方公務に臨んだ際にも、二日間の滞在中に愛子さまのことばによって場の空気がふわっと柔らかくなる場面を何度も目にした。
佐賀空港に到着された際、出迎える知事や自治体関係者も緊張していた様子だったが、愛子さまがにこにこと「緊張しております」と明かされると一気に和やかな空気に包まれた。
佐賀では国民スポーツ大会の陸上競技を観戦された 2024年10月
また、観戦された国民スポーツ大会の競技会場では、汗ばむ陽気だったことから、出迎えた初対面の大会関係者に「心も熱くなって」とユーモアを交えて挨拶されると柔らかな笑いが広がった。
会場到着というある意味形式的でもあるような場面が、愛子さまの何げないひと言で温かい交流となり、取材する記者にとっては報道したい大切な場面に変わる。
愛子さまは予定には無い、その場その場で感じたことを、気負わず、自分らしく、とても適切なことばで相手に伝えられる。すると場が和やかになり、「ことばの力」でご自身の緊張もほぐれていくように感じた。
「ことばの力」の源は豊富な読書量と両陛下譲りのユーモアセンスか
その「ことばの力」の源は、豊富な読書によって培われた語彙力と、両陛下譲りのユーモアのセンスなのではないかと拝察する。
社会人として仕事を覚えながら、初めての公務にも取り組まれることは決して容易では無かったと思う。それでも初めての行事に自然体で臨みながら、温かい交流をひとつひとつ積み重ね、「公務と仕事の両立」という大きな課題を自らの「ことばの力」でクリアされた、そんな1年だったように思う。
和歌の「ことばの響き」に感銘
愛子さまの「ことば」を大切にされる一面は、去年の歌会始に寄せられた和歌にも表れていた。
三重県の「斎宮歴史博物館」では“天皇の娘”が詠んだ和歌をご覧に 2024年3月
『幾年(いくとせ)の難き時代を乗り越えて和歌のことばは我に響きぬ』(※いくとせ の要ルビ)「中世の和歌」についての卒業論文を、ギリギリまで内容を練り上げて提出された愛子さま。
幼い頃から百人一首の音の響きや五七五七七のリズムに親しみ、成長と共に歌の意味合いや背景を理解されるようになり、大学では日本語日本文学科に進んで和歌について深く学ばれた。
平安時代の和歌が千年の時を経て今を生きる自らの心に響く。古典文学を学ぶ等身大の大学生としてのお姿を詠まれ、和歌の「ことば」を心の深いところで受け止められていることが感じられた。
1月22日行われる歌会始。今年は愛子さまも初めて出席される見通しで、社会人としての経験も積む中、どんなことばで三十一文字を紡がれるのか期待したい。
「ことばの力」で新たな活動へ
成年の記者会見で、自ら「人見知りを克服したい」と明かされていたが、愛子さまならではのことばで初めての行事でも温かい交流を重ねられるお姿には、人見知りの片鱗はもはや見当たらなかった。
成年会見では「人見知りを克服したい」と明かされたが… 2022年3月
ある側近は「やはり就職して色々な年齢や立場の人と接していることが活かされているのではないか」と話していた。
この1年は、職場では”先輩”になり、公務の面でも歌会始への出席、去年豪雨により取り止められた能登の被災地への訪問、外国への公式訪問など、さらに新たなご活動にも取り組まれることだろう。
令和7年の新年一般参賀では、「愛子さまー」という歓声も多く聞こえ、少し恥ずかしそうに皇后さまに何かを伝えながら、柔らかい笑顔で応えられていた。
今年も様々な行事を取材し、愛子さまならではの「ことば」の数々をお伝えしていきたい。